便利の代償
先日、子供のころ風呂に入るために薪を割ったことを思い出しました。
現代はスイッチひとつで完結しますね。
他にも日常の多くのことが、動かなくても考えなくても成立してしまいますね。
その恩恵の裏にある「便利の代償」は、自分の身体と向き合う時間が無くなってしまったことだと感じています。
薪を割らないと風呂に入れないのなら、いかに効率よく薪を割れるかということを考えます。
この足幅だとうまくいかない、斧を振り下ろすときにはこのくらい腰を落とすべきだ、など。
時代をさかのぼるほど、姿勢と動作が良くなければ日常をスムースに生きることができません。
身体に意識を向けることは、同時に心のあり方と向き合うことでもあります。
自分の外にばかり意識を向けないで、中に意識を向ける。多少の不便を強いる。
そういう習慣になれば、余計な病気も発生しづらくなることでしょう。
文明に感謝すると同時に、それによって失ったものをぜひ補強してください(●^o^●)